1年目

 私の同年輩、いえ、私よりもずっと若い人からも、「この歳になってパソコンなんて無理ですよ」という言葉をよく聞きますが、パソコンに年齢は関係ありませんよね。現在のパソコンは決して難しいものではありません。

 確かに、[Windows] が登場する前は難しかったのです。黒い画面でキーボードからコマンドを入力しなければなりませんから、このコマンドを覚えるだけでも一苦労だったのです。黒い画面は魅力ありませんね。やはりフルカラーのマリリン・モンローが現れた方が楽しいですね。おや、誰ですか?マリリン・モンローなんて古いと言っているのは・・・

 私が思い出せるのはソフィア・ローレン、グレース・ケリー、キム・ノヴァック、スーザン・ヘイワード、ジーン・シモンズ、エリザベス・テーラー、オードリー・ヘップバーン、ジェーン・ラッセル、ヴィヴィアン・リーくらいのものです。思い出してみたところで皆古いですね。

 当時のパソコンは、分厚い説明書が10冊ほども付いていました。その内容はまことに難しく不親切なもで、私には、わざと難しく書いているように思われました。悪意があってそのような説明書を書いたのではないでしょうが、彼らはコンピュータのプロではあっても、教えるプロではなかったからなのでしょう。

 そのようなことで、パソコンを買っても使いこなすことができず、数ヶ月後には部屋の隅で埃を被って邪魔者になってしまうパソコンも結構あったようです。私も挫折したひとりでした。でも、高いお金を払って買ったものですから何とか利用しようと考え、麻雀ゲームのソフトを買って毎日遊んでいました。私にとってのパソコンはゲーム機にすぎませんでした。

 1995年11月23日に [Windows 95] が日本で発売され、パソコンブームがスタートしました。私も翌年の春に [Windows 95] がインストールされたパソコンを買いました。1996年ですから、私が58歳の時です。私がパソコンを始めたのはこの時と言って良いでしょう。

 わくわくしながらパソコンショップへ行き、お目当てのIBM Aptiva を買いました。パソコン雑誌やカタログを見て、数日前からこれに決めていたのです。車に積んで持ち帰り説明書を読みながら早速セットアップに取り掛りました。初めてウインドウズのロゴがカラーで表示された時は感激したものです。いよいよ私にもウインドウズパソコンがある暮らしが始まるのです。

 しかし、私の周りにはパソコンをやっている人は皆無ですし、パソコンに付属していた説明書は相変わらず難解なものでした。ウインドウズ入門書を数冊買って日夜勉強を始めました。丁度その頃は私の持病の湿疹が悪化して、特別な用事がない限り外出することも儘ならない状態でしたから時間は充分にありました。パソコンの面白さにのめり込み、毎日10時間以上はパソコンに向かっていましたから、普通の人の数倍はやっていたことになるでしょうね。

 パソコンを買って1週間後にはニフティに入会してパソコン通信も始めました。ニフティには色々なフォーラムがあり、そこにあるライブラリをダウンロードしたり、電子会議室の発言を読んだりして勉強をすることもできました。丁度その頃始まった「熟年100人会」というサークルにも参加しました。若い人たちのサークルは沢山ありますが、入会資格が35歳以上というところに魅力を感じたのです。この会の創設者であるシステムエンジニア林睦雄氏が私に「ヘミングウェイ」というハンドルを付けてくれました。何時の間にか縮まって現在の「ヘミング」になったのです。

 暫く経つと、毎日使っているパソコンはどのような構成になっているのか気になってきました。幾つになっても好奇心は旺盛です。ミニタワーのケースを開き、説明書と見比べながら中を覗いてみましたが、意外にシンプルな構成です。これなら自分でも組立てることができるだろうと思いました。(自信過剰)

 パソコンの組立てをやる前に、色々な増設をやって慣れておこうと思い、最初はメモリの増設をやってみました。メモリを差し込むだけで、設定も不要ですから最も簡単な作業です。次はスキャナの増設です。買ってきたスキャナのインターフェイスは双方向パラレルです。PCI拡張スロットにパラレルボードを装着します。その前にジャンパーピンで [I/Oポートアドレス] の設定をしておきます。これも説明書の通りに進めたところ問題はありませんでした。

 段々と自信がついてきた私は、数日後にハードディスクの増設をしました。これはジャンパピンをスレーブに設定をした後、ハードディスクをベイに装着、フラットケーブルと電源ケーブルを接続します。ここまではハードディスクに付属していた説明書を見ながらスムースに終了しました。

 次は [FDISK] でハードディスクの領域の作成、続いてフォーマットです。[MS DOS]の黒い画面は苦手なのですが、これも参考書を見ながらすんなり終わりました。再起動して、マイコンピュータを開くとDドライブのアイコンがありました。

 こうしてやってみて、説明書を良く読んで落ち着いて作業を進めれば大丈夫だという自信がつきました。いよいよパソコンの組立てに取り掛ることにしました。 Aptiva を買って3ヶ月後です。丁度、知人がパソコンを始めるというので、既製品を買うよりもオーダーメイドが良いと説得し(騙したのか?)、私に組立てをやらせて貰うことにしました。部品の選択は相性の問題もあるので、パソコンショップにお任せしました。

 パーツを持ち帰り、即座に組立てに取り掛りました。それまでに3冊のパソコンの自作に関する本を読んでいましたから作業は順調に進みました。組立てが終り、次はハードディスクの基本 MS-DOS 領域の作成、続いてフォーマットです。ここまでは順調に進みました。5時間が経過していました。いよいよ [Windows 95] のインストールです。

 ところが、インストールの途中で止まってしまいました。参考書を読み返してみても作業に間違いがありません。同じことを繰り返したのですが又もやストップ。次第に焦ってきました。機械がやることには間違いがないのだから私が間違っていると思いました。焦りは禁物と自分に言い聞かせ、再度参考書をじっくりと読みました。でも、私がやっていることには間違いはないようです。

 5回目のインストールに挑戦した頃には窓の外は薄明るくなっていました。同じことをやったのですが、今度は途中で止まることもなくインストールが進みました。最後までいってくれという私の願いが通じたのか、5回目にして見事に成功しました。やれやれ、良かった〜。

 朝になり、私は組立てたパソコンを車に積んで依頼者の家に行きました。彼はパソコンの到着を待ちかねていました。「それなら昨夜の内に持ってくれば良かったね」私は徹夜をして仕上げたばかりだということはおくびにも出さずに言いました。それから10台ほど組立てましたが、最近のように安いパソコンが出回っていると、自作は高くつくので依頼はほとんどありません。しかし、パソコンの組立てはパソコンの根本を知るためには非常に良い方法だと思っています。

 パソコンの知識が増すにつれ、解らないことに出会うことが多くなってきました。生来の負けず嫌いの性格のため、解決するまではパソコンから離れることができません。数日間徹夜をしたことも度々ありました。苦労すればするほど解決をした時の喜びは大きなものになります。家族が寝静まっている深夜、「やったー!」と歓声を上げたことも度々でした。女房が寝ぼけ眼で起きて来て「何時だと思っているの〜」と嫌味を言っても気になりません。

 最初はニフティで教わっていた私ですが、数ヶ月後には「教えてください」というコーナーのパソコンに関する質問に回答することを日課として始めました。これは自分の勉強のためでもあったのです。私に解らない質問があると参考書を取り出して勉強をします。実際に試してから回答を書き込みます。これを1年ほど続けました。振り返って考えると、これが私の勉強に大変役立ったのだと思います。

 半年を過ぎ「熟年100人会」では唯一の役職「広報部長」として会長林氏の補佐を務めるようになっていました。その頃にはニフティからインターネットに接続ができるようになりました。最初の内はあちこちのホームページを見て廻っていましたが、素晴らしいデザインや表示方法を見るにつれ、自分もホームページを作ってみたいと思うようになりました。

 当時はいくつかのホームページ作成ソフトが販売されていました。どのソフトが良いだろうかと検討している時、ソフトを使わなくてもメモ帳にタグというものを入力すれば作ることができることを知りました。しかも、それが本格的な作成方法なのだそうです。即座にこの方法で作るのだと決めました。

 それから数日間はホームページ講座のホームページの歴訪を続け、ページを印刷したものを読みながらタグの入力を勉強しました。「HTML タグ辞典」という本も買って読みました。その頃の3ヶ月ほどは、ほとんどタグの勉強に費やしていました。本当に面白いのです。たった1字の入力ミスでも結果はゼロです。正直に画面に反映されるところが気に入りました。

 タグの基本が解ってくると、実際にホームページを作ってアップしてみたくなります。ところが、これといった趣味や特技がない私には、ホームページのテーマにするものがありません。そこで、他人のホームページを作ることにしました。ニフティで「無料でホームページを作ります」と呼び掛け、いくつか作成しました。

 その内に口コミ(メール込み?)で広まり、有料でも良いから作って欲しいという依頼が入るようになりました。どうせ作るのなら無料よりも有料が良いに決まっています。半年余りも本業の不動産の仕事をほっぽってパソコンにのめりこんでいたものですから、女房の風当たりも強くなっていたのです。私にとっては渡りに船です。有料でホームページの作成を始めました。

 お金を頂くからには生半可なものではいけません。[Java script]、[Java applet]、[Style sheet]、[Dynamic HTML] などの勉強を夢中でやりました。気が付くと、この関係の参考書が数十冊も溜まっていました。それだけ私には楽しい勉強だったのです。

 その内に、パソコンで生計が立てられるかもしれないという希望が湧いてきました。当時のホームページの制作料収入は僅かなものでしたが、パソコン指導もやれば何とかなるのではと思いました。永年やってきた本業の不動産は不景気です。元々話し下手な私には営業は向いていません。お客様の家に行ってもお世辞のひとつも言えないのです。いえ、言えないのではなく、見え透いたお世辞は言いたくないのです。

 お世辞を言うよりも、お客様のためになるアドバイスをしてあげようと思うのです。時にはお客様を怒らせてしまうこともありました。でも、最後には私の善意を理解して頂けます。でも、所詮私には営業は向いていないのでしょう。パソコンに向かっていると気持ちが安らいできます。

 そんな私ですから、不動産の仕事をせずにパソコンで暮らしていけたらという思いは募るばかりです。パソコンのプリンタでチラシを作り、毎日郵便受けに投げ込みをして歩きました。半月ほどかけて5万枚ほど配りました。反響は見事なゼロ、数万円をかけたチラシの効果はまったくありませんでした。

 58歳でパソコンを買って1年が経過しました。何も解らないから怖いもの知らずでやってきました。よくもパソコンを始めて1年も経たない初心者が図々しく「パソコン教えます」などと言ったものだと、今考えると冷や汗が出ます。幸いにも生徒がひとりもいなかったので恥をかかずにすみました。