私はラテンバンドが演奏する陽気な曲を聴きながら一人の女性を想い出していた。アリシア・・・彼女の名前だ。18年も前のことだ。


 その夜、私はひとりで食事を終えてレストランを出ようとした時、偶然、アメリカ人の軍医の友人と出会った。彼は私に連れの女性を紹介してくれた。小柄なラテン系の美人だ。彼女はアリシアと名乗り、軍曹だと言った。可憐な彼女の姿からは想像もできない。私には軍曹というと、映画「ここより永遠に」のアーネスト・ボーグナインが演じる鬼軍曹の憎らしいイメージがあったからだ。彼女は今日、日本に着任したばかりだそうだ。

「それじゃ、3人でお祝いだ」私達はタクシーを飛ばして六本木のクラブへ向かった。彼女はよく飲み、よく喋った。彼女のダンスは素晴らしかった。奔放に踊る彼女の姿に他の客も拍手を惜しまなかった。さすがにラテン系だ。リズム感が抜群なのだ。彼女は初めての日本の夜に興奮気味だ。そして、子供のように好奇心いっぱいだった。

 翌日、彼女から電話がかかってきた。昨夜のお礼の電話だった。私はすかさず夕食に誘った。「OK、7時に迎えに来て」宿舎の棟番号を言って彼女は電話を切った。

 私は時間がくるのが待ち遠しく、宿舎の前に着いたのは約束の時間の少し前だった。クラクションを鳴らすと二階の窓が開き、彼女が身を乗り出して叫んだ。「すぐ行くわー」
 1分も経たずに宿舎の玄関から飛び出してきて、勢いよく私の横に乗り込んだ。
「さあ、行きましょ!!」元気良く言うと、茶目っ気たっぷりにウインクをした。

 その日から、7時に迎えに行き、二人で食事をとり、そのあと軽く飲んで宿舎に送っていくという私とアリシアの日課が始まった。彼女はなんでも美味しいと言って食べた。居酒屋も好きだった。彼女のペイデイには、いつも自分がご馳走すると言ってきかなかった。週末には湘南海岸をドライブしたり、新宿で映画を観たり、六本木のディスコにもよく行った。六本木に行く度に、彼女は私と出会った時のことを口にした。私たちが会わない日は一日とてなかった。

 彼女は一家でアメリカに渡ったプエルトリコ人だそうだ。プエルトリコはカリブ海の小さな島国だ。どうりで陽気な性格のはずだ。アメリカでは働くところがないのだそうだ。不法移民なのだろうか。でも、軍隊には彼女も入隊できたのだ。
「軍隊はいいところよ。お金がかからないから給料の半分は両親に送ることができるわ。姉も軍曹よ」彼女は明るく言った。姉と二人で仕送りをして一家を支えているらしい。
「あと2年軍隊にいれば、市民権を取れるし大学にも行かせて貰えるのよ」
「大学を卒業したら良い仕事につけるわ。家族の暮らしも楽になるわ」アリシアの瞳には夢が溢れていた。

 2年後にアリシアは転属でアメリカに戻って行った。前夜、私達は別れの言葉を交わしたのだが、その日、私はキャンプを訪れた。彼女の軍服姿を見たのはその時が初めてだった。彼女は制服姿を恥ずかしがったが、少年のように凛々しかった。そして、いつもは陽気な彼女が泣き出して私を困らせた。

 それから毎月、必ずアリシアからの手紙がきた。1年後、病気で入院しているという便りが届いた。重い病気らしい。その手紙を最後に、音信がぷっつりと途絶えてしまった・・・・・


「どうしたの?」アイリーンの声に我に返った。
「いや、なにも・・・」少し後ろめたい気持ちで慌てて答えた。セブシティの小さなクラブだ。

 数時間前に、私はホテルから友人のトニーに電話をかけて夕食に誘ったのだ。
「残念だけれど、今夜は仕事なんだ」彼は気の毒に思ったのだろう。
「かわりに、友達が美味しい店に案内するよ」

 私は約束の時間にロビーへ行った。見渡したが、それらしい姿は見当たらない。トニーもいい加減なやつだなぁ・・・

「ハーイ」気が付くと、若い女性が立ちあがって手を振っている。
 俺のこと? 彼女はうなずきながら、さかんに手を振っている。一瞬戸惑ったが、彼女のそばへ行った。
「わたし、アイリーン。トニーから頼まれたの。」そう言って手を差し出した。私はどぎまぎしながら手を握り返した。トニーの奴、こんな美人を寄越すなんて言ってなかったぜ。

 若い女性と一緒のせいもあったのだろう。彼女が案内してくれたレストランの食事は素晴らしかった。食事を終えた私達はこのクラブに席をかえたのだ。彼女は酒はあまり飲めなかった。1杯のマルガリータを飲んだだけで陽気によく喋りよく笑った。ダンスも上手だった。私はそんな彼女を見ている内にアリシアを想い出していたのだった。

「わたし、売春婦してるの」唐突に彼女は言った。私は言葉を失っていた。
「悪いことじゃないわ。それで家族が生活できるんだから。」私はまだ何も言い出せなかった。
「ううん・・・今夜は仕事じゃないわ。お友達よ」
「トニーのお友達でしょう。だから、わたしのお友達よ」彼女には微塵の暗さもなかった。

 今夜はお友達・・・そう、友達なのだ。私は少し気持ちが楽になった。トニーの家族と親しい彼女が、今夜はトニーの代わりに案内を引き受けてくれたのだ。陽気に話す彼女との会話は楽しかった。彼女はそれ以上の身の上話はしなかったし、私も聞きはしなかった。

 曲が変わった。寂しい曲だ。私はその時になって初めて演奏をしている人達を眺めた。彼等は皆年老いた盲目だった。曲が彼等の境遇を物語っているようだ。生活の糧を得るために、黙々とそしてひたすらに演奏を続けていたのだ。拍手も期待せずに・・・


「バーイ」アイリーンは手を振って夜更けの路地に消えて行った。私はそこに立ち尽くして後姿を見送っていた。アリシアの姿を重ねあわせて・・・

 哀しみを被い隠すように、遠くからサンバの陽気なリズムが聞こえてきた。