62歳パソコン教師の日記 NO.154 (2000.5.31)


今日は「博多旅行記」の第2日目です。

午前8時起床。昨日は深夜まで飲みつづけたにも拘わらず、気分爽快です。楽しい酒は悪酔いしないのでしょうね。

10時ジャストに「徳さん」が車で迎えに来てくれました。昨日の天気予報では、今日は曇りということでしたが、気温も高く快晴です。

今日は壇一雄の所縁の地という、能古島へ案内して貰うことになりました。都市高速を走り、姪浜のフェリー乗り場へ向かいました。日曜日とあって、駐車場は1、2階は満車、最上階に駐車して降りて行くと、長い行列ができていました。

乗船してみると既に満員状態。私たちは最後部の風当たりが弱いデッキに立って出航を待ちました。海の上だけあって風が強く、好天にも拘わらず寒いほどなのです。

間もなくフェリーは出航、一路能古島へ!と思いきや、バックを始めました。フェリーはいつまでもバックを続け、そのままスピードを上げ始めました。風をまともに受けて寒い寒い。船尾と思って私たちが乗ったのは船首だったのです。

僅か10分ほどで能古島に到着。私たちは観光案内所で観光案内図を貰い、傍らの休憩所で生ビールを飲みながら行き先を検討しました。とりあえず、近くにある壇一雄の旧家を見に行くことにして休憩所を出ました。フェリーから下船した人たちのほとんどは、バスで島の反対側にあるレジャー施設へ向かったようで、もう船着場の周辺には人影はありません。

路地を通り、古い家並みを100mほど進むと上り坂です。汗を拭き拭き辿り着いたのですが、雨戸を閉めた古ぼけた家が一軒ぽつんと建っているだけで、中を見ることもできませんでした。でも、庭からの眺望は素適でした。対岸に福岡市街を一望でき、壇一雄がここに居を構えた理由が解った気がしました。

坂の上り下りが堪えたのでしょう。港に戻った時には、これ以上歩く元気は失せていました。観光船チャーターの看板を見付けた徳さんが交渉に行ってくれましたが、商売気がないのか、のんびりしているのか、要領を得ません。船のチャーターは諦め、昼食をとることにしました。

船着場周辺の食堂の看板にはどれも「のこうどん」の文字が目に付きます。島の名物のようです。一軒の食堂に入ってうどんを注文、先ずはビールで喉を潤し、異様な形の海老の塩茹でを食べました。徳さんから「扇海老」という名を教わりました。絶妙な塩加減で茹でた扇海老の美味しかったこと・・これだけで、島に来た甲斐があったと思いました。

「のこうどん」も美味しかったですよ。腰のある麺と薄味の汁。関東の塩辛い汁に慣れている私には、とても美味しく感じました。以前、四国で食べた「讃岐うどん」や、名古屋で食べた「きしめん」の汁もこんな味だったことを思い出しました。食は西にありですね。

「西さん、メールって言っていますよ」と徳さんに言われて聞いてみると、食堂の女店員二人がメールの話しをしていると言うのです。私が「あなたたちはパソコンをやっているの?」と訊ねると、「ええ、まだ始めて間もないですけれど」という返事が返ってきました。

私たちがオフ会用の名刺を渡すと、彼女たちも自分たちのメールアドレスを書いてくれました。デジカメで彼女たちを撮り、その写真をメールに添付して送ることを約束しました。彼女たちも私のホームページを見て、マガジンも購読すると言っていました。二人とも素適な美人でしたよ。こんな小さな島に住んでいても、インターネットの恩恵を享受できるのは同じなのだなあと、インターネットの素晴らしさを改めて実感しました。

帰りのフェリーは間違わずに最後尾に乗り博多に戻りました。夕食は有名な博多の屋台で博多ラーメンを食べたいという私たちの希望で、徳さんと3人で、それまでの時間をホテルの部屋で話しをして過ごしました。これもまた楽しいひとときでした。

夕方、とむさんから電話が入りました。息子さんの剣道の試合に行っていたそうです。6時にはとむさんもホテルに来てくれました。徳さんの運転で4人は屋台街へ行きましたが、肇さんが「明るい時間では屋台の気分がしない」と言い出しました。

更に「ラーメンも良いけれど、天麩羅も食べたい」という私の我侭で、徳さんが近くの天麩羅屋へ案内してくれました。満腹になってラーメンを食べられなくなっては困るからと、ご飯を食べずに天麩羅でビールを飲むことにしたのですが、食べてみるとこの天麩羅が滅法旨いのです。寿司屋でにぎりを注文するように、きす、いわし、いか、えび、などと注文すると、直ぐに揚げ立ての天麩羅が各々の前に置かれた竹の皿に載せられるのです。いくらでも食べられる感じでした。

ついつい食べ過ぎてしまい、ラーメンを食べるためには、少し散歩をして腹を空かさなけらばということになり、福岡城まで歩き散策しました。高層ビルが林立する中にある、25万坪の広大な福岡城址は心を癒してくれる憩いの場所でした。暮れなずむ博多の街も素適でしたよ。

屋台街に戻った頃には灯りがともり、良い雰囲気でした。一軒の屋台で博多ラーメンを食べることにしましたが、私はまだ満腹なので酒を飲んだだけでしたが、屋台の若者のパフォーマンスを楽しみながら、博多の夜を満喫しました。

徳さんにホテルまで送って貰いましたが、考えてみると徳さんは昨日の早朝からずーっと私たちのために案内をしてくれていたのです。「徳さん、疲れたでしょう、今日は早く家に帰って休んでください」と言ったのですが、既に9時を大きく過ぎていました。「明日は肇さんと二人で歩きますので、徳さんは会社の仕事をしてください。2日間本当に有難うございました」と別れの言葉を交わしました。徳さん、とむさん、お疲れ様でした。心よりお礼申し上げます。

部屋に戻った肇さんと私は、九州の人たちの暖かいおもてなしに感激して、暫しそのことについて話しをしました。どうしてここまでやってくれるのだろうか。私たちが住んでいる神奈川県は、東京と繋がった所ですが、横浜市を除くと町並みは福岡よりも田舎です。でも、住んでいる人たちは東京と同じで、あちこちからの寄り集まりですから、郷土を愛する心を持っている人は少ないのでしょう。何年間も住んでいても、隣の人と話しをしたこともないという、近所には無関心の人が多いのです。

私の心には、こんなところに住みたいなあという気持ちが沸々と湧いてきました。でも、余所者が転居して来て地元の人たちと馴染むのも大変なのだろうということも考えました。たまに行くから良いのでしょうか。故郷と同じように、憧れの地も「遠くにありて思うもの」なのでしょうね。

ホテルの窓から眺める日曜日の博多の夜の街はひっそりと静まりかえっていました。博多の街と共に私たちも眠りに就き、2日目は終りました。