湾岸戦争前には、タイへ行く時にはいつもイラク航空を利用していた。成田発バンコク経由バクダット行きだ。週に1往復しかないが、料金が安く、往復ともデイフライトだ。しかも、何時も空いているので、エコノミーにも拘らず寝て行けるのだ。だから、少々のサービスの悪さは我慢しなければならない。

 当時のイラクは、イランと休戦中とはいえ戦時下には変わりない。警戒の物々しさには乗るたびに緊張したものだ。バスで駐機しているイラク航空機まで行くと、機内預けにした乗客のスーツケースなどの荷物が地面に並べてある。バスから降りた我々乗客は、その中から自分の荷物を探し出し、飛行機に積み込んで貰ってから搭乗する。爆薬を仕掛けるテロ防止対策なのだ。

 タラップの上でボディタッチの身体検査だ。飛行機の入り口では手荷物検査が待っている。出国手続き後に免税店で買った酒類は、開封して匂いを嗅いで確かめる。カメラの電池は抜き取られ、ボール箱に放り込む。降りる時には返してくれるのだが、乗客がボール箱から勝手に取るのだから、遅く降りると電池は残っていない。

 検査をするのはスチュワード達だ。彼等は皆大男で、サダム・フセインのように一様に髭を生やしている。笑顔ひとつ見せない彼等に検査をされるのだから、良い気持ちはしない。乗務員はすべて軍人だそうだ。

 無事に検査をクリアして機内に入り、搭乗券に記入されている自分の座席を探す。最後尾まで行っても、自分の座席番号がない。なんと、私の座席がないのだ。スチュワードは、何処でも良いから空いている所に座れと言う。空いているから良いようなものの、いい加減なものだ。

 私が座ろうとした座席の上の手荷物入れはガムテープで止めてあり使えない。席を変え、荷物を収め、椅子に座る。肘掛が壊れている。また、席を変えて、やっと落ち着く。イラク航空では、飛行に差し支えない個所の修理はしないのだろう。

 イラク航空では、以前、こんなこともあった。乗客はシートベルトを締めて離陸に備えていたが、飛行機は駐機場から動く気配がない。アナウンスは何もない。我々乗客は訳もわからず2時間ほど機内で待たされた。その後、飛行機から降ろされて、出発ロビーに逆戻りをした。そこで、空港職員から、操縦席の計器の故障だと知らされた。ハンダ付けをやっているそうだ。乗客の中には、乗るのを止めたいと言い出す人もいた。初めてイラク航空に乗る人なら、怖れをなして当然だろう。更に、4時間も待たされて、やっと離陸した。予定通りなら、バンコクに到着している時間だった。もちろん、イラク航空からは一言のお詫びのアナウンスもなかった。

 この便は日本が始発なのに、日本人スチュワーデスは乗っていない。イラク人のスチュワーデスが3人ほど乗っているが、日本語は勿論、英語もあまり通じない。彼女達も皆中年の大女だ。髭こそ生やしていないが、スチュワード達と大して違いはない。彼女達は愛想が悪いどころか、ほとんど客席に出てこないのだ。仕方なく、飲み物を頼みにギャレイまで行くと、彼女達はつまみ食いをしながら、仲間と雑談をしている。注文をしても、なかなか応じてくれない。イラク航空のスチュワーデスの質の悪さは、世界一だと自信を持って断言できる。

 食事の時間になり、テーブルを下ろす。かなり傾がっている。他の座席のテーブルも同じようなものだ。トレイを押さえていないと滑り落ちそうだ。落ち着いて食事もできない。
 イラクはイスラム教の国なので、アルコールはご法度だ。幸いなことに、機内ではビールを飲むことができる。ただし、有料で2本で2ドルだ。1本が1ドルの計算だが、2本単位でしか売ってくれない。1本ずつでは面倒なのだろう。

 乱気流に入り機体が揺れると、あちこちで手荷物入れの蓋が音を立てて開く。スチュワードがガムテープで蓋を止めて廻る。3個の座席を使って横になる。イラク航空を利用する最大の理由はこれだ。寝てしまえばサービスの良し悪しは関係ない。目が覚めた頃には、バンコクのドン・ムアン空港に着陸だ。

 湾岸戦争の時に、イラクは飛行機をイランへ避難させた。軍用機の他に僅か3機しかないジャンボ旅客機も一緒だ。休戦中とはいえ敵対国に避難させるとは、どういう神経なのだろうか。案の定、湾岸戦争が終結してもイランは返してくれないらしい。きっと、イラン航空のマークに書き換えられて、世界中を飛び回っていることだろう。