若 者 へ


 この世に生を受け、どう生きるべきか?なんて、仰々しいことを言うつもりはありません。私達は幾万、幾十万の同僚の精子との競争を勝ち抜いてこの世に生を授かったのです。このことを考えれば、ただのんべんだらりと一生を終えるのは、ちょっともったいない気がするのです。しかし、立派な理想を掲げ、その達成のために日夜死に物狂いで努力する、そんな自己満足のための一生は嫌ですね。

 寿命が延びたとはいえ、人生は70年から80年くらいでしょう。この短い人生をもっと楽しく生きようではありませんか。でも、目標は必要です。それが無ければ目的地も分からずに旅に出るようなものです。目標は立てましょう。その目標に向かって努力もしましょう。その目標の10%でも20%でも達成できたなら満足しましょう。決して100%達成しようなどとは思わないことです。そこそこで満足する、この気持ちが自分の人生を豊かなものにし、毎日が楽しくなりますよ。

 受験に失敗する、希望する会社に就職出来ない、好きな相手には振られる。こんなことは他の人達にも頻繁に起こっていることです。自分だけではないのですよ。それがこの世では普通なのです。自分には相応しい学校ではなかったのか。もっと自分に適した会社が見付かるだろう。自分にはもっと素敵な相手が待っている筈だ。こう思って気持ちを切り替えることです。

 神様でもあるまいし、この世は何でも自分の思うようになる筈はないのです。深刻に悩んだり、落ち込んでしまうこともあるでしょう。大いに悩み苦しんでください。しかし、いつまでも思い悩んでいるような人間を好きになってくれる人はいませんし、理解もしてもらえないでしょう。自分の気持ちを切り替えることが出来ない時は、南の無人島に行って昼寝でもしましょう。思い悩んでいることが馬鹿馬鹿しくなってきますよ。ちいせい、ちいせいと…

 南国の若者も貧しいなりに理想を持って頑張っています。より上の教育を身に付けたい、一流企業に就職したいと思っているのは日本の若者と同じです。私が感じたことで唯一違うところ、しかも一番大切なことなのですが、それらは彼等にとっては絶対的な目的ではないということです。それらは目的を達成するための手段に過ぎないのです。彼等の終局的な目的とは何なのか。それは愛に生きることです。愛する家族に楽をさせたい、愛する人を幸せにしたい。愛する人を思う心が原点なのです。

 私が知っている一人の東南アジアの青年がいました。彼は一流会社の前途洋々たる社員でした。ある時、彼が愛する人の名誉を守るために相手を刺し殺しました。彼は死刑となりましたが、彼は恋人の名誉を守ったことに満足をしながら処刑されました。人を殺めることは、どんな理由があろうとも許されることではありませんが、私は、愛する人のためなら自分の人生を棒に振っても、まして、命を捨てても惜しくないという彼の生き様に共感も覚えました。

 どんなところにも自分の幸せを見付けることが出来ます。幸せへの道は一本道ではないのです。回り道もあるでしょう。行き止まりで引き返すこともあるでしょう。そうしたことを経験してこそ一人前の大人になれるのです。あなた達には時間という余裕があるのです。道草は大いに結構。決して焦ることはありませんよ。いろいろな経験をしてこそ豊かな人間性を具えた大人になれるのですから。